2020年8月 「彼女たちは歌う」設営風景
写真=堀蓮太郎
彼女たちは語る
vol.6
2021.1.21 発行
ウェブマガジン『彼女たちは語る』について
展覧会「彼女たちは歌う」(2020年8月18日〜9月6日、東京藝術大学美術館陳列館)にあわせて発行されたウェブマガジン。コロナウイルスの影響により直接会うことができない中、展覧会前にオンラインで重ねた参加アーティストたちとのディスカッションや、会期中のトークイベントの記録を通して、ジェンダーや美術教育の課題について考える。展覧会の会期終了後も続けて発行する。
vol.1
2020.8.22
オンライン・ミーティング(5月7日) 前編
vol.2
2020.9.1
オンライン・ミーティング(5月7日) 後編
vol.3
2020.9.30
オンライン・ミーティング(5月21日) 前編
vol.4
2020.10.22
オンライン・ミーティング(5月21日) 中編
vol.5
2020.11.18
オンライン・ミーティング(5月21日) 後編
vol.6
2021.1.21
オンライン・ミーティング(5月25日) 前編
vol.7
2021.2.10
オンライン・ミーティング(5月25日) 中編
vol.8
2021.2.25
オンライン・ミーティング(5月25日) 後編
vol.9
2021.3.20
オンライン・ミーティング(5月27日) 前編
vol.10
2021.3.27
オンライン・ミーティング(5月27日) 後編
オンライン・ミーティング(2020年5月25日)参加メンバー
風呂場の盗撮は女性にとって
「当たり前」のリスク?
荒木
乾さん、前回( 「彼女たちは語る」vol.1 )のミーティングに引き続きありがとう。今日も、みなさんと体験を打ち明けあって、共有したいと思っています。菅さん、ユゥキユキさんも、よろしくおねがいします。個人的なことと臆せずに、気楽に話していただければと思います。
菅
菅です。最近の活動をお話しすると、ここ3〜4年は、人形の写真をずっと撮っています。単純に人形を写真に撮るってことだけではなくて、人間と人間でないものの境界ってどこにあるんだろうっていうようなことを考えながら作っています。それから、妊娠・生殖がテーマに関わることも多いです。
荒木
菅さんはラブドールが妊娠したことを想定したラブドールのマタニティ写真で注目されましたね。先端芸術表現科の修了展で出した作品です。
菅
先生に送っていただいたキックオフミーティングの記録( 「彼女たちは語る」vol.1 )を読ませていただきました。遠藤麻衣さんが最初にお話されてた、お風呂場に盗撮犯が出たっていうエピソード。あの話は、その当時に彼女からも聞いてたんですが。私も19歳の時に実家の風呂場で盗撮をされたことがあったので、あらためて人ごとではないなと思って。
荒木
同じような経験っていうのがこんなに近くにあるなんて…氷山の一角ということなのでしょうか…。
菅
そんなにめずらしくないと思います。もう本当に性犯罪者はどこにでもいるという感覚です。遠藤さんとは、具体的な解決策は見つけられずに、どうしたらいいだろうねっていうことしか話せなかったんですけども。女性だから差別を受けたというか、これは犯罪ですよね。
荒木
そうですね。
菅
犯罪にあうっていうリスクを負いながら生活していることが女性なら当たり前。それ自体おかしくない?って思うんだけれども。どうすればいいのかは未だによく分からないままですね。
荒木
女性というだけで犯罪と戦わねばならなくなるなんて。
菅
しかも遠藤さんのケースと犯人の手口も一緒で、指紋が出なかったんですね。私も捕まえられなかったです。実家は一軒家だったので、お風呂場の外に大きな音が出る防犯用の砂利を敷いたりとか、人が通ると点灯するライトつけたりしました。それをしたあとでも何回か近くまで来てたみたいです。しかもその盗撮犯は多分私だけじゃなくて私の母も盗撮してた形跡があったんです。女だったら誰でもいいのかもしれません。
荒木
恐ろしいし、悔しいよね。
菅
はい、本当に。
荒木
貴重なエピソードを、ありがとうございます。菅さんは、この出来事をきっかけに、展覧会のために新作を撮り下ろしてくださっているんですよね。拝見するのを楽しみにしています。
メイドカフェの屈折した承認欲求
荒木
ユゥキユキさんからも自己紹介をお願いします。
ユゥキユキ
今、遠藤麻衣さんと同じ中村政人研究室にいます。これまでの作品は、承認欲求がテーマの一つと、他に自分がコスプレをしていたという昔からの趣味もあって、美術的なパフォーマンスができるインスタレーション空間などを作ってきました。最近の作品では承認欲求から発展して、ボーイズラブと、母娘関係をテーマに。大きなあみぐるみの作品です。
荒木
ユゥキユキさんは自分がコスプレする作品を作っていて、その中にボーイズラブ、BLをテーマにしたものがあります。BLの自分がBLの友達に恋愛感情を抱いた経験を元にしたビデオで、バーチャルな恋心というか、ジェンダーや現実を超えた複雑な感覚を表していますね。
ユゥキユキ
まず女性であることを意識したのがここ1年ぐらい前です。女の子が好きないわゆる女の子っぽいみたいなものを剥奪されていたことから無意識に自分の性自認を遠ざけていたのかなと思います。例えば「お姉ちゃんはいつもピンク、本当は私もピンクがいいんだけど…」みたいな。
荒木
うんうん。
ユゥキユキ
そういう小さなことが積み重なっていって、交友関係でも「お前は女ではないよ」みたいなのを植えつけられてて。無意識に自分で抑圧していたのか、多分そこから自分が女性として見られること自体への抵抗、違和感がずっと続いているというのは大きいです。
荒木
興味深いです。
ユゥキユキ
その反動か二十代前半のときにメイド(コンセプト)カフェに興味があって働いてたりとかしたんですけど、その中はやっぱり女性であることを前提に振る舞う空間で、それができない気持ちが強かったです。そういうことを考えないで楽しめたから、男装のボーイズラブの世界に惹かれていったのかなと思うんです。
荒木
メイドのコスプレには興味があったの?
ユゥキユキ
そうですね。高校生のときは、ほぼ男装みたいな格好を普段からしてて、少年に間違われることの方が嬉しいみたいな。
荒木
なるほどね。
ユゥキユキ
やっと大学生になって、単純にコスチュームがかわいいし、そこなら自分が女の子として居られるかもという期待もありましたね。
荒木
でもメイドカフェって男の人の要求に応える部分があるよね。そこに違和感があったのかな。
ユゥキユキ
最初に働いたお店では特に疑似恋愛の世界でもありました。お客さんは、働いてるキャストのことを本当に好きになるみたいな感覚だったから、それに応えてこの空間では恋愛ごっこしないといけないんだなと。それ自体を楽しんでやれてる女の子とお客さんの関係性は興味深いけど、自分には適応が難しいっていう感覚があって。
荒木
なるほど、かなり複雑な。単純に女性としての違和感というより、少し倒錯した感じだね。
ユゥキユキ
そうです。レイヤー構造がすごい(笑)。メイド(コンセプト)カフェにいる女の子たちって、日常生活だけじゃ足りない、満たされないみたいな承認欲求があった。もっとたくさんの人に承認されたいみたいな。私が見てきた中での話ですが。
荒木
うんうん。
ユゥキユキ
自分がどうなりたいかっていうよりかは、承認されることによってどういう自分になれるのかみたいな。でも本当の自分を見てもらうわけではない。自分としての理想像が曖昧だから。そのループがすごい。結構面白いなと思ってたんですけど、割と毒されてしまったことから作品で承認欲求を扱うようになっていきました。
荒木
それは面白いね。一筋縄じゃないね。
人形の構造を使って文脈を作る
荒木
作品に人形を使っているところが菅さんもユキさんも共通してると思うんだけど、人形にはどういう意味があると思う?
菅
私が扱ってる人形は、相当文脈が限られているものを敢えて選んでます。たとえばラブドールのアーキテクチャはこういうものですというのを前提にした上で、部分のみ改造します。
荒木
おもしろい。
菅
VOCA展に出した《A Happy Birthday》だったら、既存のラブドール製品の作り方と同じ手法で自分の顔をモデルにしたものを作ってもらいました。人形を取り入れることで作品をその文脈に引き込むという使い方をしてるので、あんまり自分でどうこうできるものじゃないんです。素材もそうだし、自分で造形的にこうしたいというのは置いておいて、どのように文脈を作れるかが大事です。
荒木
既存のアーキテクチャがあるからコントロールしきれないんですね。
菅
そうですね。人形を選ぶことであったり、写真に撮る段階では作家として見え方をコントロールしますが、人形を作る手つきがどうこうという方向性ではないです。私は人形作家さんと話が合わない部分があります。人形に対して愛がないじゃないかみたいな言われ方をしたり。
荒木
人形作家の世界っていうのも独特だもんね。確かにその文脈ではないですね、菅さんは。
菅
そうなんです。人形自体はすごくメンテナンスもするし、きちんと扱って大切にするんですけど、それはどっちかというと、ラブドールを持ってる人と同じような感覚。きれいにして、服を着せ替えてあげて、みたいなことですね。私はラブドールの所有者さんたちと同じように人形を大事にしています。
荒木
ローリー・シモンズのラブドールのシリーズは知ってたの?
菅
知ってました。作品を作る際に彼女の作品を見た上で、わたしの回答はそうじゃないと思ったので、作れるなと思いました。
荒木
菅さんは彼女の作品をどう捉えてる?
菅
彼女のインタビューを読んだのですが、「海外から来た日本人の留学生の女の子がホームステイしてるみたいな感じで写真を撮ってる」ということを言ってたんですね。なので、オリエンタリズムというか、他者としてのアジア人の女の子と人形の間みたいなところに、留まってるような印象を受けました。
荒木
視点が違うと。
菅
確かに生命らしきものを感じられるのですが、その先が見たいと私は思っていたんです。人間に限りなく近いのに人間をを超えていくような、人形ではない領域まで行くにはどうしたらいいか、受け身の可愛い留学生の女の子じゃなくするにはどうしたらいいか。そういうことを考えてましたね。
荒木
ローリー・シモンズはラブドールの精巧さと美しさに、崇高なものを感じたって言ってましたね。秋葉原で出会って、何としてでも持ち帰ろうって思ったっていうことだから、人形自体の魅力に惹かれたんでしょうね。
菅
そうですね。あのシモンズが撮ってるモデルは、私が撮影し始めた時にはもう廃番になってたんです。コユキちゃんっていう人気のあったモデルで。私も現品を見たんですけど、よくできてるんです。能面みたいな感じというか、角度によって憂いとか喜びとか、色んな表情が見えるような顔です。これに惹かれたのはよく分かるなって思いました。
荒木
菅さんとドールの関係はユゥキユキさんのあみぐるみとはもう全然違いますね。ユキさんの人形はもっとおどろおどろしいもんね。
「インナーマザー」の呪縛を表す人形
荒木
情念を編み込んでやってるよね。あの手法にはどういう風にたどりついたの?
ユゥキユキ
自分の母親って、愛情はすごくあるけど世間様が一番大事な印象があって。田舎というのも影響していると思うのですが思い出すと人の目が一番大事で、「ああしなきゃいけない、こうすると恥ずかしいよ」みたいな教育をされてきたんです。知らないうちにそれに支配されていっていて。抗ってたつもりなんですけど。
荒木
うん。
ユゥキユキ
すごく良い母親だと思うんですよね、世間的に見て。だけど母親によって影響された「自分の中の母親像」みたいな、頭の中で支配する声の、インナーマザーに気づいたんです。自分が小さいとき両親に宛てた手紙の中に「あみぐるみを作ってるんで今度作ります。お母さんいつもありがとう。お礼に作ります」って書いていて。でも、結局全く作らなかったっていうことが自分のインナーマザーの問題と未だにつながってるなと思って。
荒木
そんなきっかけが。
ユゥキユキ
じゃあそれを表象化しようっていったときに、等身大のインナーマザーを作って、そこから脱皮すれば、母娘から逃れられる、解決できるんじゃないかと思ったんです。だけど、それが結局無理だったんですよね。気持ち的にも。
荒木
あみぐるみを背負って海辺まで行ったでしょ。それでもそのインナーマザーからの呪縛っていうのは解消されなかった?
ユゥキユキ
されなかったですね。多分ずっとしがみつきたかったのかも。そこでもう一つ、別の人形が出てくるんです。私の家に昔からある「三番目のサン子ちゃん」っていう人形。おばあちゃんが買ってきた赤ん坊の人形で、私の遊び道具だったでした。それが、私も姉も成長して使われなくなって。
荒木
うん。
ユゥキユキ
ある日お母さんがその人形に洋服を着させてて、「3番目のサン子ちゃん」って呼び始めたんです。「あ、もしかして寂しいのかな?」って思って。でもこれって、母親が娘に執着することの表れだったり、逆にお母さんは人形供養しようかなって最近何年か前から言ってるけど、お父さんがそれを止めたり。いつまでも子供にしがみつくっていうことかもしれない。私も、サン子ちゃんが捨てられるのは嫌だなって思っていて。
荒木
複雑ですね。
ユゥキユキ
だから私がいつまでも母親像にしがみつくというのを表しているのがサン子ちゃんなんじゃないかと思って。それで、実家に帰って母親と一緒にもう1回サン子ちゃんを作り直してみようと作った人形が作品になりました。
荒木
そうなんですね。
ユゥキユキ
私の作品は、元々自身の個人的なモチーフを直接扱うので、身代わりっていう印象が強いですよね、その人形に対して。身代わりが意識を持つみたいな。菅さんの、人間と人間じゃないものの境界っていうことに対して、共感するというか、興味をおぼえます。
菅
ああ、なるほど。
ユゥキユキ
私はまだインナーマザーを脱ぎ捨てること自体が不可能だから、受け入れた上で、何ができるかということにつながるのかなって。巨大なサン子ちゃんの作品は、母体の中に受け入れて、母体の中で反旗を翻すような意味で、BLの映像があるという構造になっています。ちょっと分かりにくいかもしれないけど。
荒木
巨大なサン子ちゃんを作ってみて、ちょっとは解決できた?
ユゥキユキ
母親と一緒に作業することで、母親のことを一人の女性ではなく、母親っていう役割を当てはめてたのが自分だったという気づきがありました。ちょっと人間に見えてきたというか。一人の人として接することを一緒に作業することを通してできてきました。
お母さんの仇
荒木
複雑だよね。母娘の関係について、乾さんも作品の中でお母さんと自分を重ねてるじゃない? 自分の好きなように生きられなかった、古い伝統的な家のしきたりの中で生きてたお母さんに対して、乾さんは強く共感してるけど。でも同時に何かちょっとその呪いも受けちゃってるところもあるよね。
乾
あると思います。ユキさんの仰ってる「支配」っていうのを、私も《月へは帰らない》という作品を作ってより自覚してしまいました。ちょっと怖さもあって。
荒木
うんうん。
乾
ユキさんのポートフォリオの中で引用されていた、斎藤環さんの「母親を否定すると自分自身も否定するような気持ちになっちゃう」っていう言葉が、本当にそのまますっと入ってきました。その通りだなって思っちゃって。
ユゥキユキ
うん。
乾
かなり母親と自分を同一視しているなっていうのは作品を通して気がつきました。
荒木
うん、そうだね。だから意図せずして乾さんがお母さんの敵討ちをしなきゃいけないような、ちょっとそういう立場になってる部分もあるよね。
乾
それは中学生ぐらいの時から思ってました。母子家庭で育ててくれた母という存在があって。その存在はすごい強くて頼もしかった一方で、母は、私に経験してきたことを全部喋る人だったんですよ。
荒木
ああ、そうか。
乾
「仕事場でこんなことがあった、今日こんなこと言われた、これどう思う?」みたいなことを結構シェアしてくる人だったので、そこで母親にこんなことを言ったあの人を私は一生許さない、みたいな気持ちになって。
荒木
そうだよね。意図せずして男嫌いになっちゃったみたいなとこあるよね。
乾
あると思いますね。
荒木
そうね、どうすればいいんだろう。
乾
特に思春期はそういう気持ちで歩んできてしまいましたね。最近になってようやく解放されつつあります。
次号へ続く
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