2020年8月 「彼女たちは歌う」設営風景
写真=堀蓮太郎
彼女たちは語る
vol.4
2020.10.22 発行
ウェブマガジン『彼女たちは語る』について
展覧会「彼女たちは歌う」(2020年8月18日〜9月6日、東京藝術大学美術館陳列館)にあわせて発行されたウェブマガジン。コロナウイルスの影響により直接会うことができない中、展覧会前にオンラインで重ねた参加アーティストたちとのディスカッションや、会期中のトークイベントの記録を通して、ジェンダーや美術教育の課題について考える。展覧会の会期終了後も続けて発行する。
vol.1
2020.8.22
オンライン・ミーティング(5月7日) 前編
vol.2
2020.9.1
オンライン・ミーティング(5月7日) 後編
vol.3
2020.9.30
オンライン・ミーティング(5月21日) 前編
vol.4
2020.10.22
オンライン・ミーティング(5月21日) 中編
vol.5
2020.11.18
オンライン・ミーティング(5月21日) 後編
vol.6
2021.1.21
オンライン・ミーティング(5月25日) 前編
vol.7
2021.2.10
オンライン・ミーティング(5月25日) 中編
vol.8
2021.2.25
オンライン・ミーティング(5月25日) 後編
vol.9
2021.3.20
オンライン・ミーティング(5月27日) 前編
vol.10
2021.3.27
オンライン・ミーティング(5月27日) 後編
オンライン・ミーティング(2020年5月21日)参加メンバー
手のひらで転がされる存在としての男性
五十嵐
私が友達と話している時に、恋愛の話になって。「恋人にこんなことを言われたんだけど」っていう話。ある子が、「本当に男ってバカだから」みたいな前提を置いて話を進めていくんです。
荒木
あー。
五十嵐
「バカはバカのままにしてればいいんだよ」って。バカをバカのままにさせるって仕返しのつもりなんだと思うんですけど。それってなんか違うじゃないかな?と思いました。
荒木
それはあれだよね、えーっと、賢い女性は男の人を手のひらで転がせばいいんだよみたいなね。男性のことをすごく侮辱している感じがするよね。
五十嵐
はい。
荒木
裏を返せば男性に人格がない感じ。極端な話、男は戦争が始まったら兵隊になるんだっていう感覚に近いと思うんですよ。女は「お嬢ちゃん」って言って守られて、男は常に使い捨てで、戦争が始まったら有無を言わず死んでこいと。企業戦士となって朝まで働け、ただの駒として死ぬまで働けみたいな。
金
お嬢ちゃん(怒)
五十嵐
使い捨て...。
荒木
女性をお嬢ちゃんと呼ぶ、戦前からあるようなマインドセットが変わってないっていうのは、本当は男も女も怒った方がいいと思います。男性も自分にかけられた罠に気づいた方がいい。
副島
確かに男性は男性で、年収が高いとか、いい会社に入るとか、社会に根強くルールがある。女性の立場と男性の立場の格差を無くさなきゃと思った時に、男性に起きていることも同時に考えたいなって思います。
百瀬
うん、退職したあとの男性たちってうつ病になりやすかったりとか、人との関わりあい方が分からなくなって結構大変って言いますよね。老人ホームとかでも、おばあちゃんたち同士だとおしゃべりを通じてすぐに仲良くなれる人が多いそうですが、おじいちゃんたち同士はずっと黙ったままだったりして。男性たちのグループでは、一緒に何か作るみたいな手作業を取り入れたワークショップをすると「ちょっとそれとって」みたいな風に会話を始められるそうです。
副島
女性だけの話じゃなくて男性の話も含めて、その社会的背景、なぜそういう社会が生まれてきたのかを話さなきゃいけないですよね。
階級や差別がないという「幻想」
荒木
でもこういうことを議論する時に、そもそもその前提がないから大変。私がかつてイギリスでミュージアム・スタディーズを学んでいた時でも、レイシズムや階級のことを耳にタコができるぐらい話してました。ミドルクラスでもアッパーミドルなのかローワーミドルなのかとか。ワーキングクラスの人や移民など「ミュージアムは自分の文化に属していない」と思ってる人たちに、どうやってアプローチするのか。そのためには階級の前提から、話をするんですよね。
副島
そうなんですよね。
荒木
私は「絶対平等主義」の日本の教育を受けてから行ったから。どうしてこの人たち四六時中階級の話してるんだろうと思って、はじめは抵抗を感じたんだけど。よく考えたら、日本にそれがないのか?格差もないし、お金もみんな同じぐらい貰ってて、みんな同じようなお父さん、お母さんがいて同じ中流なのかって...。
副島
そんなことないですよね。
荒木
本当は全然違うんですよね。民族だって、単一民族国家なんかじゃないし。格差の存在に正直に向き合って、じゃあそこで何をしたらいいのかを議論するイギリス人たちと話していて、真剣に何とかしようと、変えようと思ってるってことに気づいたんです。格差の話もタブー、ジェンダーの話もタブーっていう社会は、すごい虚構だと思う。
副島
学部時代に、同じ授業を受けていた女子学生が自分の作品説明する時に、女性のことを「豚」と比喩表現したことがあったんです。同じ場に韓国からの留学生が1人いたんですけれど、彼女はすぐにその場で「私はその表現は不適切だと思う」って反応して。その時に、私を含め一緒に授業の中で議論しようとする日本人の学生がいなかったんです。
金
韓国で育っていれば、ジェンダーイシューとかも普通に話し合ってると思います。アーティストとして女が弱いという感覚はない。ずっと上の世代は受け入れるばかりの教育だったみたいです。その反動で、私の少し上の世代はストレートに政治的な言葉を発するような作品を作るようになったのかな。若くなればなるほど、個に関連した作品を作るようになっています。
荒木
なるほど。
歩きながら考えればいいのに
金
韓国人は日本人よりも政治の話を日頃からしています。選挙前は選挙のことで盛り上がって、みんな飲み屋さんとかで話していますよ。酒の肴みたいに。私は国籍が日本じゃないので日本の選挙権がないんですよね。だから日本の人たちが選挙の前とかにどういう風に話しあってるかっていう現場をほとんど見たことがないんですけど、そんなにみんな話さないんですか?
百瀬
私の周りは割とガンガン話す方です。ただ周りが同じレベルのリテラシーを持った人ばっかりになっていって、SNSとかでも自分にとって心地いいタイムラインしか見えてこなくなるんですよね。みんな当たり前に選挙に行くし、当たり前にデモに行く人しか視界に入らなくなる。それはそれで問題なのかな?と思ったりもします。
金
もちろん韓国もケースバイケース。私の周りには結構現代美術関係の人が多いです。でも選挙前なんかは、美術界にかぎらず盛り上がっていますよ。
百瀬
世論を見ると何でこんな自民の支持率が高いの?みたいな。どんどん自分の認識とずれが生じていくっていうのをすごく感じます。
副島
私もまだ学生なので、大学ではそういう発言をまだカジュアルにできてるんですけど。政治的な発言を気楽にすることが危険だ、って誤認してる人も多いのかなって。
百瀬
うん。あと日本人特有なのかなと思うのは、例えば何かの法案について話すとき、まだ完璧に調べきれてないからとりあえず判断を保留しておいて、結局最後まで沈黙したまま終わってしまうということがあると思うんですよね。
荒木
無知だと発言できない、だから議論しないということになってしまう。
百瀬
とりあえずデモを見に行ってみようとか、デモで歩きながら考えようとか、そういう感じがあんまりないというか。
副島
確かに。気軽に接していいんだよっていう風潮がもうちょっとできてもいいんじゃないのかなと思います。発言をして、いろんな人とその話題になって、知らないことを知るきっかけを築くことが一番大事だと思いますし。
百瀬
根っこにあるのは「無知だと思われることに対する異様な恐れ」なのかなと思っていて。自分は何も知らないということを悟られてはいけないというか、指摘されないように生きるというか。
荒木
そういう環境って学びを妨げてるよね。
百瀬
自分はまだ未熟なんだってことを言うのが、こんなにも難しい社会なんだっていうこと。なんか全然寛容ではない社会。それは男性にとってもすごく抑圧的だと思うし、だからこそマウンティングのための鎧で身を固めちゃう、というメンタリティーになっていくのかなと思いますね。
知らないことは恥ではない
荒木
学者じゃないと意見を言ってはいけない、本を出してない人が何かを言ってはいけないとか。その結果、みんな勉強しないのよ。どうせ素人だから、知らないからって言って結局そのままにしちゃう、あきらめちゃうっていう雰囲気がすごくある。
百瀬
失敗することが、怖いと感じるのかな。
荒木
大学入学して、これから失敗したり、ちょっと勘違いなことをいっぱいやりながら、自分のやり方を掴んでいけばいいんだけど、どうもそう思ってなくて「いや自分にはまだ早いです。」みたいなことを言う。「じゃあいつだったらいいわけ?」となるじゃない。ともかくトライしてみるっていうのが学びだし。
金
ボコボコにされたりして(笑)
荒木
フィードバックがないとね(笑)教員と学生の関係のヒエラルキーみたいなことでいえば、本当は学びって、お互い様じゃないといけないんだよね。だって年取ってる私が、10代にはぱっと分かるリテラシーを持ってないこともいっぱいあるわけよ。ITリテラシーもそうだし、これがいいねって思う感覚、流行りの物とかだって全然違うわけじゃない。
副島
当然そうですよね。
荒木
そういう知識や感覚を学生たちからもオファーしてもらいたいよね。互いに引き出しあうように。新しい人の知識が間違ってるなんてことは全然ない。どんどん更新されていく。歴史だって実は違いましたということがいっぱいある訳で。長く生きてる方が偉いっていうことは、実はない。
副島
そういう風に言ってもらえると、積極的に話してみたいと勇気づけられます。
荒木
経験上、アドバイスできることは確かにあるけれども、先生のやる気を引き出しているのは、学生の力量だったりするんだよね。私も知りたいことはいっぱいあるしね。学生を通して、そこがもうちょっとフラットになって、副島さんが言ってたみたいな円形になってみんなで議論する雰囲気ができるっていうことが理想だと思うよ。
金
たまにしっかり落ち込んで(笑)
荒木
そうそう(笑)受け身で言われるままなのに、実は陰で文句言ってるとか、そういう不健全な一方通行じゃなくて「もうちょっとこうしませんか?」みたいなことをお互い言っていけるといいよね、教員と学生が。それは男女ともそうですよね。
百瀬
そうだと思いますよ。
荒木
そういう奇妙な境界をどうやったらもう少し行き来できるような、柔らかいものにできるかなってすごく思いますね。そっちの方がみんな気が楽になるんじゃないかな。
副島
そうですね。意見を言うこと自体が、相手を感情的な意味で攻撃しているわけじゃないってことを理解しあいたいですね。
荒木
そうすればもっと議論がしやすくなっていくものね。
弱みを見せて悩みをシェアする学び
百瀬
もし私が教授になったら、今作ってて全然うまくいってない自分の作品を持ってきて、これどうやったら面白くなるのかな?ってみんなに意見を聞くかもしれない(笑)
副島
確かに関係性をフラットにさせる何かきっかけに貢献しそうですよね。
百瀬
私、自分が誰かと仲良くなりたいって思った時に、常にやってるのは最初に全部手札を見せちゃうことなんですよね。こんな不器用なところもあってさ、みたいに。そういうところで信頼をお互い築いていくみたいなところが結構あって。
荒木
いいね。
百瀬
先生たちもそれぐらいドラスティックに自分の意識を変えていく方が面白いのかなと思ったりします。学生も先生の作品を講評するって学びになると思うし、自分の作品は冷静に見れなくても人の作品は冷静に見れるとか。
荒木
あるある。自分のことは棚に上げて。(笑)
副島
講評の場って作品ができた状態だから難しいのですかね。例えば作品の中間発表とかその企画発表っていう状態で、作品ができあがる前に今の状態の作品のことをこう考えていて、ここからどんどん広げていこうと思うんだけど別の視点がありませんかって聞くとか。自分が今悩んでるところを他人とシェアするっていう現場。
荒木
それは面白い。
副島
信頼関係をどんどん培った上で最終的にアウトプットしたものをお互い講評できる空間が作れたらって思って。発言しやすい空間も作れていけるなと思います。
荒木
金さんは韓国ではどうでしたか。
金
私が韓国に行った2003年頃は、教授と学生の間にすごいヒエラルキーがありました。韓国のお酒文化に、目上の人と対面で飲むのは失礼になるため体を右に回して飲まなければならないという作法があるのですが、教授一人前を向いて、学生が何十人揃って体を回してお酒を飲んでいるような時代でした。
荒木
それは壮観。ちょっと見てみたい。(笑)
金
私が行った美大は、写真映像コースができたばかりで、比較的若い先生たちが教えていました。他校と違って先生とフランクな関係でした。同級生は4人ぐらいで、大学院に通う人の年齢も幅広い。男性は兵役の義務があるので、休学はみんな無料で登録できます。途中でちょっと働いたり、別のことをして、また復学する。そういうことは普通にあるので、年齢層が高かった。批判したい作品に対してもすごい優しく配慮しながら(笑)
荒木
なるほど(笑)
金
日本で通った写真専門学校も働きながら夜間コースに通ってたので、働いてる方もいるし、年齢もバラバラ。先生たちがとても丁寧だったし、お互いの作品について話す時も、慎重に、配慮しながら意見を述べました。自分の教育環境は色んな話を聞くことができて、良かったのかなと思います。
プレゼン力の重要性
荒木
ソウル大学の美術学部に、卒業制作の講評を頼まれて行ったことがあったのね。ドイツからもキュレーターがもう1人。通訳もいたんだけれど、多くの学生が下手でも自分で英語で話すのよ。「聞いて!聞いて!」みたいな感じがすごくて。それは日本の学生と全然違ったんですよね。
副島
それはすごいなあ。
荒木
あと社会的な作品が多かった。例えば貧困問題は韓国ってすごく大きな問題だから、ホームレスをテーマに、ホームレスの人の、道端の低い目線で記録した映像を使ったインスタレーションとか、よく覚えています。本当に面白かった。でも何より良かったのがみんなが恐れず、チャンスとばかりにバンバンプレゼンするところ。必ずしも英語が上手な訳じゃなくても、その能動性っていうのが素晴らしいなと思った。
金
そうですね。作品についてちゃんと話せないと批判される環境ではあると思います。韓国は。あと日本やドイツから現職で働いてるようなキュレーターが来て、作品を見てもらえる機会なんてそこでしかないわけですから。学生時代は。
荒木
でも、日本の学校ではあんな風にならないと思うんです。
金
韓国はみんなプレゼンは強いですよ。公募などの最終面接がプレゼンで行われることが多いので、それは訓練されてると思います。アプライする時に自分の作品をまず文書に起こして、書類だけで一次通るわけじゃないですか。
荒木
うんうん。
金
最近は経歴もブラインドで、作品と企画だけで審査したりするようになってきていますし。アピール力が基本的にないとやっていけない感じですね。イギリスはどうですか?
副島
中高生の間にプレゼンをする、あるいは学生同士で講評し合うとか討論し合うっていうシステムがどの授業にも組み込まれていて、それによって発言をすることにためらいのない人が多いなっていうのは感じます。例えば歴史の勉強するにしても、例えば、「冷戦を過激化させた最大の要因は何だと思いますか?あなたの考えを、相手を納得させることができるように理由を書きなさい」みたいな授業内容なんです。
金
なるほど、面白いですね。韓国はプレゼン力が求められる社会だからか、できないことも「できます!」って言っちゃう人もいる。先にできると言っておいて後でできるようにする。もちろんみんながそうではありませんけど、ポジティブにアピールする傾向が、日本よりも強いと思う。会社の面接の時とかも日本語話せなくても話せますって言っといて、入るまでに話せるようにするとか。
熾烈な競争社会
副島
それは競争社会が由来してる可能性ってありますか?
金
あると思います。韓国にいて一番感じるのは、サバイバルだなってこと。みんな生き残るために必死。幸せ度はちょっと低いかもしれないなって思ってしまいます。日本にいると穏やかだなって思うんですけど、それは内にあるものを表出してないだけかもしれない。
荒木
競争という意味では韓国は過酷な社会ですよね。
金
学歴で人生が決まってしまうので、ソウル大学に行かなきゃいけない、留学に行かなきゃいけないと、幼い頃から競争社会で育ちます。親の経済力で決まってしまったりもしますし。
荒木
文化助成の状況はどうですか。
金
日本より文化助成は多いです。支援基金をもらえるように努力するという点ではやはり競争になります。基金を頂いても全額展示に使うので、制作中の生活費は別途稼がなければなりません。アルバイトしたり、誰かに何かを教えたり、制作活動だでは食べていけないストレスはあります。ハァってため息つきながら、アーティスト同士が経済事情を話し合うことも。
百瀬
私、スイスで展示したことがあるんです。ああいうお金がある国って福祉も充実してて、アーティストも助成を貰えるわけなんですけど、でもなぜかそこで出てくる現地のアーティストの作品が、正直私にはあんまり面白くなくて。
荒木
(笑)
百瀬
なんか不思議なのは、汚い水から文化は生まれるみたいな、そういうことわざありますよね。なんだっけ。なんかそういう、国としての福利厚生がちゃんとしてれば面白い作品が出てくるかといえば、特に比例するわけでもないみたいなことが個人的にはすごく興味深かったんです。
荒木
日本って競争のすさまじさっていうのは中国や韓国に比べると全然ないんだよね。そのせいで古いものが温存されちゃうという部分もあるんだと思う。みんないいとは思っていないのに、教育の制度も変わらないでしょう。「ちょっとこれ不当なんじゃないですか?」っていうことは、言えるようにならないといけない。そうしないと本当にリアルな、強い表現が生まれないと思う。
次号へ続く
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