「彼女たちは歌う」 Listen to Her Song

東京芸大 I LOVE YOU プロジェクト展覧会

東京藝術大学 美術館陳列館
2020年8月18日 - 9月6日
(本展は会期終了いたしました)

2020年8月 「彼女たちは歌う」設営風景
写真=堀蓮太郎

彼女たちは語る
vol.5
2020.11.18 発行

ウェブマガジン『彼女たちは語る』について

展覧会「彼女たちは歌う」(2020年8月18日〜9月6日、東京藝術大学美術館陳列館)にあわせて発行されたウェブマガジン。コロナウイルスの影響により直接会うことができない中、展覧会前にオンラインで重ねた参加アーティストたちとのディスカッションや、会期中のトークイベントの記録を通して、ジェンダーや美術教育の課題について考える。展覧会の会期終了後も続けて発行する。

オンライン・ミーティング(2020年5月21日)参加メンバー

中編(vol.4)から続く

みんなもっと怒っていい

荒木

金さんが、韓国は競争が激しいけれど、一方で国のアーティストへの補助が手厚いと言ってましたよね。

はい、日本よりは充実してますね。

荒木

日本では、表現者全般へのリスペクトが低いと感じる。芸能人がSNSで検事の定年延長について反対しただけで叩かれる。あんたは歌だけ歌っていればいいんだと。同じように、アーティストには頭の良さや政治の知識は必要ないという雰囲気がある。

副島

アーティストたちが考えていることに、耳を傾けて欲しいですね。

荒木

昨年(2019)の「あいちトリエンナーレ」に対する抗議のときも、アーティストはきれいなものを作ってればいいんだ、人の気持ちを逆なでするようなものを作るやつが公金を使うな、というような反応がありましたね。こんな侮辱はないと感じました。アーティストは自分たちよりも一段も二段も低いものだと思ってるのかな。同時代を生きているんだから、表現に政治が全く関係ないという前提がおかしい。

それは現代美術以外での分野でもそうだと思いますか? 伝統芸術とかに対するリスペクトは高いじゃないですか。

荒木

その視点しかないんだよね。伝統や巧みな技術ならオーケーという。政治性の全くない、かわいいイルカとかならいい。

百瀬

その伝統技術を重んじる傾向が、今の日本の美大のシステムにそのまま反映されてるような気もしていて。工房っていうのはどうしても徒弟制度みたいなシステムを内包してるわけですよね。先輩が後輩に窯の見張りをさせるみたいな。その状況を反省することがないまま、現代美術ってフレームの中でも、ずるずる引きずってしまってる。私はそんな印象を持ちましたね。

荒木

だから男性の方が上みたいになっちゃったのかな。本当は年齢や性別が関係ないはずの現代美術が古臭い徒弟制度みたいなものを踏襲してしまったのか。

どうすれば良くなると思いますか。現代美術に対する視線だったり...

荒木

まずは女性を含むマイノリティーと言われてる人たち、自分で意識してないかもしれないけど不平等な立場にいる人たちは、もうちょっと怒ってほしいなと思う。例えば若者ももっと怒るべきなんだよね。だってこれから不利になる一方じゃない、経済的にも。やっぱり若者とか女性、LGBTQの人、外国人とか、もう少しおかしいよねって声を上げていい。でもマイノリティーの人だけにそれを任せるのは違う。元々スタート地点が違って不当に苦労してるのに、自分で解決すべきというのは、とんでもない間違い。そこはやっぱり多数の既得権益を持ってる人たちが「こんな世界は嫌だおかしい」って言って動かなきゃいけないよね。だからジェンダーイシューに関してはやっぱり男性が変わる必要があるから、彼らに伝えることを怠ってはいけないなと思う。ものすごく面倒くさいけど。

一同

(笑)

展覧会設営風景

副島

私もあの時怒らなきゃダメだったなと思うことがよくあります。「今の発言おかしいよね」ってカジュアルに言い合えればと思います。他人任せじゃなくて。怒らなかった後で毎回後悔してるのですごい不健康だなと思って。後々話してみたら、やっぱりその時におかしいと思った人たちが何人もいるので、怒るべき時に複数の人が発言していく環境を作りたいなと思いました。

荒木

私も同感。個人の勇気の問題ではないんだよね。

副島

その場の空気だけを読むんじゃなくて。うるさいなって思われちゃう心配はありますけどね...悩ましいですね。ちょっとずつ言う回数を増やすとか、他の人を促して率先して言っていく環境を作ることになるのかなとか。

百瀬

うん、退職したあとの男性たちってうつ病になりやすかったりとか、人との関わりあい方が分からなくなって結構大変って言いますよね。老人ホームとかでも、おばあちゃんたち同士だとおしゃべりを通じてすぐに仲良くなれる人が多いそうですが、おじいちゃんたち同士はずっと黙ったままだったりして。男性たちのグループでは、一緒に何か作るみたいな手作業を取り入れたワークショップをすると「ちょっとそれとって」みたいな風に会話を始められるそうです。

副島

女性だけの話じゃなくて男性の話も含めて、その社会的背景、なぜそういう社会が生まれてきたのかを話さなきゃいけないですよね。

「私はフェミニストではない」という枕詞

百瀬

ちゃんとしたリテラシーを持つことが「怒られるから」という動機ではない形で養わればいいなと思っていて。要はクールじゃない、女性蔑視的なニュアンスが含まれる発言がすごく「ダサい」んだっていうことが、もうちょっと感覚的に分かってほしい。

荒木

今はそれ逆かも。性差別的発言を正す行為とかがダサくて、野暮だと思われてしまう。そんなことに目くじら立てるなとか。だから真に理解してなくていいから、せめてリテラシーとして「その発言は非常に恥ずかしくて、野蛮だと見なされますよ」って感じてもらうところまで持っていけるといいよね。今だって世界中に人種差別的な人たちは存在するけど、それを剥き出しにしたら文明人でないと思われるから、一応マナーとして身に付けている人は多い。

百瀬

とりあえず建前だけでもいいから、まずは整えるところから始めなきゃいけないわけですよね。

荒木

うん、だから私はやっぱり法律とかが大事だと思うよ。個々人の良心に訴えるなんてことは不可能で、それこそ議員の数とかもクオータ制にして、何十パーセントは絶対女の人とかっていうふうに形から決めてやっていかないと、自主性に任せてたら変わらない気がする。

副島

そうですね。制度として変わることによって、その場所に属することよって自分の心や考え方も変わっていく状態を作る方が現実的というか可能性を感じますよね。

こういう議論の場に男性も参加したらダメなんですか?

荒木

全然いいと思うんだけど。イベントがもしちゃんとできれば、男性を入れてトークイベントを展覧会と同時に是非やりたいなと思っています。

企画が実を結び、「彼女たちは歌う」展の会期中に3つのトークイベントを開催した。
8/23 内海潤也、乾真裕子、金仁淑、百瀬文「枠組みを超えて」
8/29 岡本美津子、中村政人、遠藤麻衣、副島しのぶ、ユゥキユキ「藝大とジェンダー」
8/30 上野千鶴子、菅実花、小林エリカ、スプツニ子!「フェミニストっていう?いわない?」
全回ともモデレーターは荒木夏実
(感染症拡大防止の観点から、いずれのイベントもオンライン配信の形式をとった。現在も配信記録を公開中である。)
トークイベントアーカイブ

トークイベント「藝大とジェンダー」収録風景
(左から、ゲストの中村政人、岡本美津子、モデレーターを務めた荒木)

荒木

ただ、私はまず当事者が話す機会があまりにもないと思ったの。「なぜ女だけ?」ということについて、特にアーティストは何らかの縛りをすごく嫌う傾向があるから、違和感を感じる人も多い。ただ、例えば黒人差別の問題を考えた時に、まずは当事者の黒人たちが話しあうのは自然で、「この場に白人もいないとフェアじゃないですよね」っていうことはおかしいなと思うのね。それは「男性排除」という意味では全くない。ジェンダーイシューって男性はもちろん、多様な性の人々を含めた問題だから。先進国の多くがこのことに取り組んでどんどんどん問題を解消しようとしいるのに、日本ではそれができなくて、極端に男女非対称な状況というのがすごく悲しい。私が今育ててる息子たちがそういう社会に生き続けるのはすごく嫌だなって思う。いわゆるマジョリティの男性にとっても悲劇だなと。

荒木さんはこれまで女性だけの展覧会ってやってませんよね。

荒木

一回もないですよ。こんなふうに女性だけで集まって女性であることにつして議論することも初めてですね。女性のアーティストの抵抗も大きいし。(笑)アーティストや学生で枕詞に「私はフェミニストではありませんけれども...」っていう人が多いし。

そうなんですか?

荒木

多いですね。

百瀬

想像するに、自分の作品が選ばれたのは作品が良かったからで、自分が女性だったからではないという心理が働くのかなと思いました。「私が女性じゃなかったら選ばれなかったのか?」っていう懸念があるのかな。

アーティストと自己責任論

荒木

以前百瀬さんは、キャリアのある女性アーティストが「私は女性であることなんて関係ない」と語っているのを聞いてがっかりしたと言ってたよね。

百瀬

そうですね。がっかりというか...作品にはどう見ても女性の身体の問題が内包されているにもかかわらず、逆に一切触れないのが不自然というか、そこまで言えないことなのか…? みたいな…うまく言えないんですけど。

荒木

たぶんね、そこまで言えないことなんだと思うな。言えないし、思いたくないことなんでしょうね。それほどマイナスになるっていうことになるのかな、女性であるという特性が。

百瀬

そうですね。だから彼女自身にがっかりしたというよりは、彼女にフェミニストであるとは言わせない社会の仕組みにがっかりしたっていう感じ。キャリアを積んだ人ですらそのシステムの犠牲になってるんだってことに辛さを覚えた感じですかね。

百瀬文《Social Dance》2019
「彼女たちは歌う」展覧会場風景

荒木

この間スプツニ子!が、ある有名な女性の会社役員が「女性だから差別されたことは一度もない」って言い切っていたことを、後進にとってみるとすごく残念というか、突き放された気がすると言ってましたね。「差別はない」と言い切らないといけないような状況があるのかも。でも、その後に続く人のことを考えるっていうか、つなげるためにバトンを渡していくみたいな意識を持っていてほしいと思いますけどね。

百瀬

なんかもともとアートをやることと、自己責任論って切っても切り離せない関係をずっと結ばされてきたような感じがあって。だって好きでやってるんでしょ?という。たとえば、作品が完成するまでの無数の試行錯誤や、長期的な実験といった「まだ価値になっていない時間」というものに対しては、なかなか補助が出ないような体制になっていますよね。もともとそういう下地がある中で、そういった発言や態度がどう見えるかといえば、「強者である女性」だけが生き残ることができるという社会をある意味肯定してしまっていると思うんですよね。

荒木

なるほど。

百瀬

私自身、なにか自分の主張をするときに、それが他の女性に対する抑圧になっていないか、そのバランスで毎回悩んでいます。自己責任論的なものを批判しながら、自分自身がそれに加担してるかもしれないことに無自覚なんだとしたら、それは私は悪なんじゃないかと思います。

「女性」や「在日」を超える

荒木

確かに自己責任論が実はアートに隠れていますね。個人主義的な部分に。金さんはどう思う?在日コリアンのアーティストとしての自分の位置付けとか、後進に対する影響とかを考えたことある?

特に在日をカテゴリーとして意識していませんが、自分の作品に映っている次の世代の子たちに、作品に出て良かったなって思ってもらいたいです。

荒木

なるほどね。

在日がどういう存在であるか、社会であまり認識されていないと感じています。私は マジョリティーもマイノリティーも関係なく、様々な国と年代の人々と考えを共有したくて作品を制作しています。 在日としてとか、フェミニストや女性としてなど、カテゴリーにあてはめることは必要なのだろうか?と思います。私が思う在日とあなたの思う在日は違うかもしれない。それぞれの立場や認識によって見方が変わるという経験をしてきました。個がある上で女性であり、ナショナリティーがあると思っています。 例えば親しくなれば差別をしなくなることもあるだろうし、無意識で女性を差別するような発言をしても「いやそこ違うんじゃない?」と指摘すれば受け入れてくれると思います。

金仁淑《Stacking hours 2001-2018》2020
「彼女たちは歌う」展覧会場風景

他者の痛みを想像するために

荒木

男性も想像ついていないから、まずこの状況を知る必要があるでしょうね。

知ってもらうためには、「女はこうだ」って攻撃的に言ってもあまり伝わらないと思ってるんですよ。「在日だから差別しないで!」って言っても理解は深まらない。それよりも、「私」を知ってくれた人に、「韓国国籍という理由だけで不動産契約する時に断られ続けたんだよ」って話す方が、状況が伝わると思います。フェミニズム運動というより、私が女性だったからこんな目にあったの」っていう話が共有できれば、もっと速く理解できるんじゃないかなと思ったりもします。

百瀬

フェミニズムっていう言葉を記号的に扱うよりも、個人の身体を通した経験として共有していく方がすんなり受け入れられるんじゃないかということですよね。

そう。「私、ギャラリストにお嬢ちゃんって言われた。」って言った方が本人の周りの男性はショックじゃないかな。でも知らない誰々さんがお嬢ちゃんと呼ばれたって言っちゃうと一つの例にしかならないかなと思って。それで作品を作るときも自分が一緒に体験しながら作ったりとか、展覧会場で考えを共有してもらうというプロセスで今までやってきたんです。

荒木

作品の中での実践が効果的だと。

若い時は自分の状況を説明をしても本当に話が伝わらなくて、歴史やルーツを全部一から説明しても伝わらない。でも親しくなるにつれて、自分の友人の事として理解しようとしてくれました。良くないことは良くないと言えるぐらいのフランクな関係で話しあえる方法や場が作られていったほうが早いかなと思ったりします。

百瀬

他者の痛みに対する想像力の問題ということでもあるのかな。

展覧会設営風景

そうですね。男性に「女性じゃないからわからないよ」って言われることもあると思うんですよ。「いくら言われても在日のことなんて分からないよ。」ってはっきりと言われたことがあります。育った環境が違うので、それはそうですよね。「でも、君が一生懸命に何かを伝えようとしてるから展示見てみるよ」って言ってもらえる方がいいかなって思うんですよね。

副島

それは切実。

もちろん本当に生きていけないぐらい虐げられてたりする場合はすぐに立ち上がって言わないとダメだと思います。女性にとって良くない現状は少しずつ男性も分かってきている。韓国は意識の変化が割と早くみられました。女性差別について無関心な男性も気をつけ始めていますし、これから若い世代も関心を持っていけば、変わっていけると思います。みなさんのお話を聞いていると日本の美術教育の現場や仕組みが変わるのはなかなか難しそうに感じました。でも学生さんはこれから考えていける世代です。例えば、校内での女性差別があったとしても男子学生から「先生、それはおかしいですよ」って言えるようになれば、変化のきっかけになるのではと思います。女性だからじゃなく、おかしいことをおかしいと発言できるようになるには何をどうしたらいいかなと考えていました。

次号へ続く

「彼女たちは語る」では、展覧会「彼女たちは歌う」の会期終了後も継続して、オンライン・ミーティングやトークイベントの情報を配信します。更新情報は展覧会公式 Twitter @Listen2Her_Song でお知らせします。